紅桜後

隣の部屋で怪我を負った銀さんが寝ている。それなのに姉上と神楽ちゃんはなんだかんだと煩くて、はしゃいでいるみたいだった。


僕はちゃぶ台に肘をつきながら、遠巻きに彼らを眺める。どうも、あのごちゃごちゃの中に入っていく気がしなかった。

僕は今まで人を斬ったことがなかった。
道場剣術は、確かに、一生懸命打ち込んだし弱くはないと思う。
でも、真剣の前に立つと、どうしても体が震えた。

けれど、これは当然のことだと思う。臆せず踏み出せるのは、銀さんや桂さんが修羅場を何度もくぐり抜けているからで、普通は相当な恐怖を感じる筈だ。
以前街で浪人が刀を抜いて対峙しているのを見かけたことがあるけど、その時だって膠着状態が暫く続いたっけ。それが普通。だって刀は本当によく切れるんだ。
血が出るだけじゃない。下手をしたら腕くらいすっぱり持っていかれてしまう。


そう、腕くらい。
僕は人の腕を斬り落としたのだけど。
これは、普通?


いや、普通とか普通じゃないとか、そういう問題じゃないのは分かってる。

似蔵を斬ったこと、間違ったことをしたなんて思っていない。たとえ江戸中の人からいけないと言われようと、僕は銀さんを守るために刀を抜いただろう。
だから、けして後悔なんかしていない。

けれど、僕は人の腕を両断した。


感触?
覚えてない。
いや、覚えていないわけではないけど、あの時は必死で、他のことについてもあまり記憶がない。

こんなことで、斬った斬らないで、いちいち悩む僕はおかしいんだろうか。ただ、水に浮かんだ腕だけが、なぜか生々しく蘇ってきて、どうしても気を取られてしまうんだ。
だけど、僕、人を斬ってしまったんですが…なんて絶対に銀さんには相談できない。神楽ちゃんにも。あと、なんとなく姉上にも、言えない。

でも考えてもみろ。
銀さんなんて死んでもおかしくないくらい斬られていて、そしてその分、いや恐らくそれ以上、銀さんも船上で敵を斬ってきたんだろうけど、だからといって僕はその事に対して何も思うことはない。
あんた、人を斬ったんですか!とか、本当に天人殺してきちゃったんですか!とか、そんな感想はこれっぽちも持たない。


だから僕も割りきってしまえばいいじゃないかって、そう思うけど、何故だかそれができない。
そう、割りきれたらどんなにか!
でも、割りきって考えてしまえる自分というのも、なんだか怖い。

あぁ、僕はどうしたらいいんだろう?
どうしたらこのわだかまりから抜け出せるだろう。ああ…!


そうだ、
お通ちゃんを聴こう。


おまえ!
それでも!

僕はそれでも侍です。


 

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